「職人は死ぬまで完璧っちゅうことはない。」
漆器をつくる、まず最初の工程「木地づくり」。欅(けやき)や山桜、栃などの木材を「轆轤(ろくろ)」でまわしながら「鉋(かんな)」で削り、形をつくっていきます。お椀など丸い器をつくる「丸物木地師」、お盆や箱など四角いものをつくる「指物(角物)木地師」のほかに「くり物」「曲物」などもあります。15歳から修行を初めて「丸物木地師」歴65年の清水さんは御年80歳。
「79まで自分は死なんと思ってた。不死身やと思ってたのに。」80歳になって「不死身じゃなかった」と初めて気づいた、と真顔で話す清水さん。お話を聞いているとこちらが元気をもらえるパワースポットのような方です。実際の木地づくりを見せていただくと、「ここ、っていうときに鉋(かんな)を持つ手にすっと力を入れると、流れていく」その”すっと”に集中するといいものができるのだそう。「ま、職人死ぬまで完璧っちゅうことはないわの。」と笑います。
技術を覚えたら、腕だけは取られない。
河和田で木地職人の家に生まれた清水さん、とにかく「木」が好きでイヤになったことも辞めたいと思ったことも一度もないと断言。「イヤなことはするべきじゃない、でも仕事はある程度、好きになる努力も必要」。今の職人はとにかく売れるものを考えないと、と強調します。「昔は売れ筋のものを作っていれば売れた。今は人がやっていないことをやらないとね」。
生活スタイルの変化とともに、昔とくらべて漆器の出番は減ってきました。清水さんが木地づくりを始めた頃は河和田に120人ほどいた木地職人も、今では4人に。
「若いのは、あの子だけ」と指すのは、現在清水さんのもとで修行中の上杉瞭太朗さん、山梨県出身の25歳。清水さんのすごいところは技術だけでなく「常に新しいものを作りつづけるところ」そう話す上杉さんも、やっぱり昔から「木」が好きだったのだとか。「作り続ければ、技術は落ちることはない」と清水さん。「技術を覚えたら、その腕だけは取られない」。
変わらないことは、変わりつづけること。
長い木地職人人生の中で、どんどん売れた時代も思うように売れなくなった時代も経験してきた清水さん。プラスチックが出現したときは、危機を感じて負けられない、と感じたそう。時代とともに売れるものも変わっていくからこそ、柔軟でいないと。「でもどっちも売れないと。職人は売らないと一人前じゃない。売れないってことは一人前じゃない」。
逆に変わらないことはと尋ねると、「変わらないことはない。とにかく変わり続ける。」何が売れるかは、出してみないとわからない。でもパッと思いついたことは、とりあえずやってみるのだそう。「今も好き。楽しくてしかたない。人生、とにかく楽しむこと」。