丁寧に作り込まれた料理は、心の奥まで満たしてくれる。
130余年の歴史を持つ「御殿 當田屋(ごてん とうでや)」。思わず感嘆の声が漏れてしまうほどの華やかな日本料理は「老舗の風格と共に、四季の移ろいを五感で楽ませてくれる」と定評があります。
當田屋が愛され続けている理由のひとつに、老舗でありながらお手頃な価格帯であることが挙げられます。4代目女将の栗田もも乃さんは「夜の会席でも、ご予算やシーンに合わせて5千~1万円にてご用意させていただきますので、お気軽にご相談ください」とにっこり。
それでいて、伝統野菜・吉川ナスや近海ものの新鮮な魚介、旬の山や里の幸をふんだんに使って大満足のボリュームに仕上げているというから、折に触れて通うリピーターが多いのも納得です。
その会席の人気を猛追しているのが、実はうなぎ。3度焼きでじっくり丁寧に火を入れたうなぎは、外はカリッ、中はふっくらジューシー。うなぎをこよなく愛し、一人で県外まで食べに行くほどのうなぎ好きだという女将も太鼓判を押すほどの傑作です。
また日にちは非公開ながら、月1回、女将の手打ち蕎麦が食べられる日もあるとのこと。運命的な出会いを楽しみに、足を運んでみてはいかがでしょうか。
お客さんと鯖江のまちに支えられて。
明治初期、當田(とうで)町出身であった初代が、鯖江の中心地として栄えていた御殿通りに魚屋を構えたのが始まりの「當田屋」。現在は4代目料理長である父・伸彦さんと4代目女将のもも乃さんが、親子で切り盛りしています。
2019年、若干22歳で女将になったもも乃さん。「私が20歳で社会人になってすぐ、母の体調が悪化して。当時、県外に勤めていたんですが福井勤務をお願いし、しばらくは入院した母のお世話と会社員、當田屋での若女将修行を並行しました。でも私の体がもたなくなってしまい、當田屋に専念することに決めたんです」と波乱含みの女将人生の幕開けを振り返ります。
その決意の少し後、帰らぬ人となってしまった先代女将。“女将のいろは”を教わる間もなく女将として出発することになったもも乃さんを待っていたのは、大雪や世界的な感染症の大流行など、次々に襲い来る困難でした。「本当によく乗り越えたなって。それもすべて、常連のお客様達に教えていただいたり支えていただいたりしたおかげです」と明るく話す表情は、今や立派な女将そのものです。
「色々なことが起きる現代、料亭ってなくなることはあっても新しく生まれることってほぼないんですよね。だからこそ私の代で終わらせられないっていうプレッシャーも感じています」。伝統の灯を絶やすことなく次世代に繫ぐことが、目下(もっか)の目標です。
大好きな鯖江で、これからも當田屋としてあり続けるために。
そんなもも乃女将のもう一つの目標は、老舗としての格や風情は大切にしつつも、若い方にも気軽に利用していただける料亭にすること。「私が若くして継いだということもあって、もっと若い世代の人達にも気軽に足を運んでいただきたいなって。記念日や“ちょっと良いことがあった”くらいのハレの日などでも使っていただけるような場所でありたいですね」と続けます。
学生時代から、まちづくりにも積極的に関わっている女将。鯖江のまちとの共存共栄の先にこそ、時代に求められる“新しい當田屋”があると信じ、今日も晴れやかな笑顔でゲストをお迎えします。